そこまで書いたところで破綻していることが判明する


2年目の祟りの必要性である
ただの事故だと片付ければいい話かもしれない
しかしながら、状況証拠がそれを否定していく

何故、綿流しの日にわざわざ出かけるのか
ダム賛成派であるし、祟り噂が浸透していない昔では祭には関係ない
だからその日も予定なく居辛い村を離れお出かけとなったのかも知れない
しかし、なぜ川が濁流になるほどの雨の降っていた台風の翌日に
お出かけなんぞしたというのか
展望台というからには足場の悪い場所も通るだろうに


一年目はなんとなく説明は付く
死体が発見されないのは警察が良く使う手段だからだ
埋めた場所が分かっていても警察は先に死体を発見することをしない
犯人を追い詰め自供を強要し、その自供を元に「犯人しか知り得ない情報」として
逮捕の根拠とするために
だから死体はでない方が当然なのである

三年目は警察が未だ追求をしていることから、夫の死に不審な点があるのであろう
これはその妻が疑わしい

四年目は例のジャンキーが犯人ではないかと思っている
もしくはヤクザの誰かが「気を利かせた」のかもしれないが
祟りの話を明らかに利用した殺害だとも取れる




だが、やはり二年目
ここがネックになる


やはりだめだったようだ